八百屋の頃からの思いと夢

 

東京の小さな八百屋の三代目として働くこと8年

市場に流通させる生産者さんの立場の難しさについて

思いを寄せることが多くなった

 

サイズや品質により値段が分けられ出荷される農作物だが

相場というものが存在し入荷量で価格が大きく変わってしまうのである

 

どんなに品質のいいものを作り続けても

旬を迎え流通量が増えると値段は暴落する

 

いいもの=価値 ではなく

物量=価値 それが市場なのだ

 

市場出荷のタイプは大きく分けて2つ

共撰と個選とがある

 

共撰はJAの共同選果場で手数料をJAに支払い

農協単位で出荷するため

選別の手間がかからないメリットがある

しかしながらどんなに手間暇かけて栽培を行ったとしても

相場に合わせて値段が決まってしまうため

ほかの生産者とあまり扱いが変わらない

努力をしている農家とそうでない農家が相場によって

収入に大きな差がないことはおかしいことではないのだろうか

八百屋の経験を積む一方で

生産者さんの気持ちを考えると

申し訳ない気持ちでいっぱいになっていった

 

個選は数十もの規格に合わせて個人の責任で出荷される

そのため選別に多量の労力がかかる

それにもかかわらずよほど信頼と実績がない限り

評価額は高くはならない

市場でも「個選だから」「個選にしては使える」

などという言葉をちらほら耳にする

本来ならばもっと評価されるべきであるはずだ

 

私は市場で仕入れながら

生産者さんのことを思うと

複雑な気持ちだった

 

近年自然災害も多く丹精込めて育て上げた農作物が

食卓に上がらず廃棄されてしまう事例もしばしば見聞きし

そのたびに私は心を痛めていた

 

朝から晩まで真面目に働いたその分の対価を受けるのは

当然のことであるはずだ

 

日本の食卓のために日々闘い作業している

生産者さんがもっともっと注目されてほしい

 

生産者さんがいなければ加工もできないし

食事もとることができない

 

それにもかかわらず生産者さんにスポットを

あてられる機会があまりにも少ない

 

なんとかできないものか

 

しかし小さな八百屋が何かをできるわけもなく

もやもやが晴れることはなかった

 

当然のことであるが

生産者さんがあってこそ

消費が生まれ八百屋が成り立つ

 

もっともっと

 

生産者さんの思いと頑張りが

伝わりやすい世の中になってほしい

頑張りが無駄にならないように

 

私の役目は橋渡しになることだと

考えるようになった

 

幼少期

「ご飯粒を残したらお百姓さんに申し訳ないよ一粒残さず食べなさい」

 

祖母によく言われた言葉だったが

東京ではお百姓さんが身近でなく

イメージしにくかったことを覚えている

 

もっと生産者さんを身近な存在に

そして感謝しながらいただくことが

当たり前になるように

 

19年4月にシフォンケーキを製造する八百屋として

紀之国屋商店は生まれ変わる

これを機に養鶏場の生産者さんの情熱と思いを

ゆぅたんのほっぺたの商品に託して

消費者さんとの笑顔の架け橋となる存在になるために

 

 生産者さんから消費者さんまで

ゆぅたんのほっぺたをきっかけに

シフォンの輪が広がり

すべては笑顔で繋がるために

今日も家族でシフォンを焼く